【48】北朝鮮訪問の評価と、国内政治への対応            (9.18)


 衝撃的な結果であった。年若い人たちが、まさか8人も死亡していようとは、日本でその安否を気遣っていた人たちは誰も思っていなかったことだろう。家族の人たちの無念は、察するに余りある。
 その気持ちゆえであろうか、今度の小泉訪朝の評価に対して、「多くの同胞が殺されているのに、国交回復交渉の継続を約するとは何事か」といった論調が目立つ。家族や国民の感情を慮ってのことなのかもしれないが、国際政治の通常を知るものならばいささか情緒に流されすぎた評価であるといわねばならない。テレビで語るコメンテータのみなさんが、異口同音に情緒的な発言に終始していたのを見て、いかにも日本人だなぁと思ったし、この国を一気呵成にかの大戦へと導いたマスコミの動向とはこのようであったかと空恐ろしくもなった。
 国際政治とは非情なものである。8人の死亡の状況は詳らかにしなければならないが、それを以って交渉決裂を叫ぶのならば、日本が過去の大戦で朝鮮半島で行ったことの数々を天秤に掛けられることになる。戦争時には別の次元の倫理が働くとはいっても、虐待にあった人たちやその家族にしてみれば、保障も清算もしていないのに国交樹立とは何事だということになるのだろう。
 まさに、非は非として認識されねばならないが、恩讐を越えて明日への道を模索することが求められるのが、国際政治であることも確かである。
 ルートのないところに道をつけた小泉首相の訪朝は、画期的なことであったと評価せねばならない。歴史に残る事跡であるのかどうかは、これからの交渉の内容・結果によることになるが、ここはひとまず、単身敵地へ乗り込んで、黄金伝説の国に間違いを認めさせ謝罪を取り付けたことは、画期的なことであったとするのが正当な評価である。


 国内では、今日、日銀が銀行の保有株を買い取るなどという奇想天外なことを言い出した。歴史が証明する社会主義的過保護の愚策を、まだ繰り返すつもりだろうか。銀行を潰したら日本経済は破綻するという。それは、銀行とその取り巻き政治家が言っていることで、日本の銀行は実はもう潰れているのである。公的資金を導入した時点で、日本の銀行経営は明確に失格の烙印が押されたのである。今は、旧態依然たる銀行を救済する策を弄するのでなく、新しい銀行の経営方法を断行せねばならないときである。
 帰国早々、小泉首相にはご苦労様なことであるが、訪朝で示した勇気と決断を、ここまで迷走してきた国内政治の第一の要因である銀行改革で見せてほしい。



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